三菱銀行強盗事件・梅川昭美の素性

その犯人の名前は梅川昭美、1979年1月26日、大阪市住吉区の三菱銀行(現在の三菱東京UFJ銀行) 北畠支店に猟銃を持って押し入った。
行員と店内にいた客合わせて30人を人質にとり、5千万円を要求してきた。
この事件が歴史的な事件として扱われる理由にはいくつかあり、一つは残虐性、もう一つは単独犯でありながら長期化した点があるだろう。

1979年1月26日、閉店時間間際の午後3時、梅川は猟銃を持って一人で店内に押し入った。
当初の予定では、現金を手にした後、警察がくる前に逃げるはずだったが、中にいた客の一人が脱出に成功し、警察に通報した事で事件が明るみとなり、そこから42時間にも及ぶ壮絶な時間を迎える事になる。
女子行員19名は全員全ての服を脱がされ、全裸にされた。
最も悲惨な出来事は、事件発生当初から気丈に行員を励ましていた渋谷行員が、その現場を取り仕切る姿が気に食わないと銃で撃った。
かろうじて急所をはずしたものの、肩にあたって重傷を負った。
とっさの判断で死んだフリをしたまでは良かったが、別の男性行員にトドメをさせと脅した。
それはできないと拒むと、梅川は渋谷行員の耳を切り落とすよう命じる。
殺すよりはマシと考えた行員は、渋谷行員に「すみません」と声をかけ、耳を切り落とす。
激痛で声を上げれば一大事になる。
激しい痛みに耐え、見事にこの難局を乗り切った。
結局、梅川行員2名、警察官2名、計4名を殺害した。

●収束
事件の収束は突然やってきた。
さすがに単独で2日間にも及ぶ籠城に疲労困憊したのだろう。
梅川がウトウトと居眠りをしはじめたのである。
このチャンスを逃がしたら後はないと、警察は突入を決行する。
突入の瞬間、「伏せろ!」と大声で行員・客らに呼びかけ、同時に梅川めがけて警察官の発砲が鳴り響いた。
発砲は計8発、そのうち3発が梅川に命中した。
1発は頭に命中しており、これが致命傷になったとみられている。

★★筆者の目線★★
事件の最中、梅川の実の母親が説得を試みたが、梅川は全く聞く耳を持たなかった。
死んだフリをした渋谷行員は、梅川は本当に死んだと思っていたようだが、死体の耳を切らせるといった残虐な手口に世間は震撼した。
この事件が発生した当時、私は12才でテレビの報道を見ながら事の重大さを理解できていた。
子供心に「この男はそうとういかれている」という事がわかり、とてつもない恐怖を感じた事を覚えている。

●エピソード
梅川は15才の頃、強盗殺人事件を犯し逮捕されている。
しかし、少年法の規定により、少年院送りだけで済まされていた。
この事件を受け、世論では少年法の改正を訴える声も上がったが、結局少年法が改正される事には至らなかった。
本来ならば成人なら極刑でもおかしくない事件だっただけに、なんとも言葉が見つからない。
なぜ4人もの尊い命が奪われなくてはならなかったのか?
ただただ無念の一語に尽きる事件であった。