光市母子殺害事件

1990年4月14日、山口県光市において、未成年者による母子殺害事件が発生した。
加害者が未成年者であることから、少年法の壁がクローズアップされ、マスコミに多きく取り上げられた事件である。
特に注目を集めたのが、被害者遺族である本村洋(もとむら・ひろし)の、壮絶な司法との戦いであった。
それと同時に、当時まであまりに無慈悲な被害者遺族の扱いに対し、被害者遺族の権利を主張し獲得した。
例えば、それまでは裁判所の膨張において被害者の遺影を持ち込む事は加害者に同様を与えるとして、許されていなかった。
これに対して、遺族である本村氏は猛烈な抗議をし、遺影の持ち込み権利を勝ち取った。
また、犯人が未成年者であることから、量刑は無期懲役が有力視され、実際に山口地裁・広島高裁までは無期懲役の判決が下された。
しかし、本村氏の猛烈なアピールにより、異例ともいえる最高裁での差し戻し命令が下された。
最高裁において「差し戻す」とは、「前判決が不当であるからやり直せ」という事である。
すなわち、差し戻しが下された時点で被告は死刑判決が下される可能性が濃厚となったわけだ。
結果として、最高裁は被害者遺族の心情を、死刑という最も重い罪に組み入れるという、異例の判断を下したのだった。
こうした前例は過去にもなく、本村氏の活動がいかに裁判に大きな影響を及ぼしたかが覗えるものである。

●概要
犯人、福田孝行は強姦目的で山口県光市の新日鐵社宅アパートに排水管検査を装い侵入した。
侵入先は新日鐵社員、本村洋さんの家だった。
自宅には妻(当時23才)と生後11ヶ月の娘がおり、夫の洋氏は仕事で不在だった。
福田は自宅に上がると態度が豹変し、自宅にいた主婦を押し倒した。
しかし、激しく抵抗した為、福田は主婦の首を絞めて殺害した。
この事件の異常性は、ここからはじまる。
息を引き取った主婦に対し、強姦したのである。
このことは主婦の体内から福田の精液が検出されたことからも明らかとなっており、福田自身がこれを認めている。
また、生後間もない娘が泣き喚いた為、殺意を持って床に叩きつけるなどして殺害した。

●獄中からの手紙
この事件ではいくつかマスコミを大いに騒がせた事柄があるが、その中の一つに福田が獄中から友人宛に書いた手紙がある。
その内容は、「犬が散歩していてかわいい犬と出会った。そこで性交渉をしてこれが罪なのでしょうか?」というものだった。
これは、手紙を受け取った友人がマスコミに公表して明らかとなったものである。
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。
当然、遺族である本村氏は激しく激怒した。

●傍聴席への遺影持ち込み拒否騒動
裁判の傍聴において、本村氏は妻の遺影を持って入所しようとした。
しかし、これは加害者の感情を刺激するとして、本村氏の傍聴を裁判所は拒否した。
本村氏はこれを不服とし、遺影の持ち込みを許可を求め、運動を続けた。
世論も味方し、裁判所は遺影の持ち込みを許可するようになった。

●語録
本村氏はこれまで多くの名言の残してきた。
その言葉一つ一つに重みがあり、時には世論を突き動かし、時には最高裁判所までも突き動かすものだった。
それらの中で、いくつか紹介したいと思う。

★「勝者も敗者もない。犯罪が起きてしまった時点で皆が敗者です」

犯人を極刑にできる可能性が低いという見方を受けて
★「私は司法に負けた」

無期懲役濃厚となった時点で
★「国が犯人を処刑できないのなら、犯人には早く出てきてほしい。そうすれば私が殺す」

無期懲役判決を受けて
★「このまま判決を認めれば、今度はこれが基準になってしまう。そんなことは許されない。たとえ上司が反対しても私は控訴する。100回負けても、私は101回目を戦う」

本村氏が会社に辞表を提出した時の上司の言葉
★「君はこの職場にいる限り、私の部下だ。その間は私は君を守ることができる。しかし、会社を辞めれば守ってやることができない」
そして、上司はこうも付け加えた。
「君が会社を辞めたいのなら、辞めれば良い。しかし、労働も納税もしない人間がいくら社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人として世間に訴えなさい」

本村氏は3300日間にわたり、司法と戦い続けた。
少年法の分厚い壁をぶち壊し、最高裁をも突き動かした。
そして、無為懲役でほぼ確実となった福田の量刑で、ついに死刑を勝ち取った。
彼の活動は壮絶なものであった。
司法界にも大きな一石を投じてみせた。
彼の戦いは間違いなく同じ苦しみを抱える凶悪犯罪の被害者遺族に少しは生きる希望を与えたに違いない。
本村氏が戦った3300日の功績は、日本の司法史上に残るものであることは間違いなさそうだ。