宮崎勤・連続幼女誘拐殺人事件

1988年から1989年にかけて東京と埼玉で起きた連続幼女殺人事件である。
殺害した遺体の遺骨を被害者遺族の元に送り付けたり、犯行声明文を朝日新聞社に送り付けるなど、犯行そのものが劇場型となったことで、連日のようにマスコミは報道した。
公判中、「犯行は夢の中の出来事」や、「ネズミ人間が現れた」など、意味不明の発言を繰り返した。
反面、死刑確定後、絞首台から落とされる恐怖を訴え、アメリカで行われている薬物による執行を望むという、弱い一面も覗かせている。
宮崎勤の異常性は、殺害した幼女が死後硬直している状態で、性行為を行っていることからも見て取れる。
犯行当時、26才だった宮崎勤は、同年代の女性とコミュニケーションが取れず、幼い少女に興味を抱いていた。
実際に被害にあった少女たちは、それぞれ4才児2名・5才・7才とまだ幼い少女ばかりであった。
宮崎の異常性はこれだけに留まらない。
殺害から死体と性行為を行うシ-ンなどを自らビデオに納め、家宅捜査で見つかった5000本以上ものビデオテープの中に紛れ込ませていた。
数々の殺害現場を見てきた捜査員たちも、このビデオは直視できなかったという。

●第一の事件
1988年8月22日、当時4才だった少女(A)が誘拐後、間もなく殺害される。
殺害後死後硬直をはじめたAと性行為が行われているところを、に宮崎は自らビデオ撮影した。
1989年2月6日、A宅にこの少女の遺骨が送り付けられ、大きな話題となった。
これは、後に発生する第三の事件で、被害者となった少女Cの遺族が、「例え死体でも見つかって良かった」と語った事が大きく影響したものだ。

●第二の事件
1988年10月3日、当時7才の少女が殺害された。
こちらは第一の事件とは異なり、まだ少女が息のあるうちに性行為を行い、やはりビデオに収めていた。
後の供述で、この事件が一番印象に残っていないと宮崎は語っている。

●第三の事件
1988年12月9日、当時4才の少女が誘拐され、殺害される。
この少女が失禁をしてしまい、あせった宮崎はこの少女を山林に投げ捨てた。
12月15日には全裸となった少女の遺体が発見された。

●第四の事件
1989年6月6日、当時5才の少女を殺害し、宮崎はここで最も異常性を発揮する。
少女の指をもいで食べたり、生血を飲んだのだ。
このことは供述で明らかとなっており、事実この少女の遺体はバラバラで発見された。

●収束
1989年7月23日、第五の事件となったかもしれない事件を宮崎は起こす。
八王子市内で幼い2人姉妹のわいせつな写真を取り続けた。
撮影中、1人がこのことを父親に告げ、最悪の事態は免れ、宮崎は現行犯逮捕に至る。
この父親は、この時の男が連続幼女殺人事件の犯人と知り、腰を抜かしたという。
結局、この事件が一連の事件の突破口となり、供述によって4つの少女殺害について供述をはじめる事となる。

★★筆者の目線★★
この事件は東京と埼玉にまたがり、まだ幼い少女を狙った卑劣な犯罪で、当時幼い娘を持つ親は恐怖に怯えた。
学校の登下校なども集団下校、親の送り迎えが当たり前となった。
この事件で最もショッキングな出来事は、宮崎が人肉を食ったという事である。
当然、精神鑑定が実施され、宮崎側弁護士は精神疾患による減刑を求めた。
本来ならば、精神疾患による減刑が採用されるところであろうが、あまりにも残虐な事件であることから、裁判所は死刑判決を言い渡した。
冒頭でも紹介したが、死刑が確定すると宮崎はその恐怖を語っている。
絞首台から落とされる恐怖を、獄中で書いた手紙に延々と綴っていたのだ。
そして、アメリカのように薬物による死刑を望んだ。
当然、この願いは叶えられる事なく、2008円6月17日、当時法務大臣であった鳩山邦夫の命令で死刑が執行された。
鳩山氏は、後のテレビの取材で、宮崎はなんとしてでも死刑に追い込む決意でいたことを明かす。
死刑執行は、法務大臣の許可が必要となるが、その死刑にかかわった元法務大臣がこうした発言をするのは、極めて異例である。
私もそのテレビ放送を見ていたが、鳩山氏の宮崎勤事件に関する意気込みはハンパでないことを感じ取った。
放送後、「死刑ありきでなかったのか?」という強い批判も受けたが、あの時の判断は間違っていなかったと今でも強く思うと雄弁に語っていた。
死刑制度には反対はも多く存在するが、そういう人たちに問うてみたい。
もし、自分の愛する人が宮崎のような男に残忍な殺され方をした場合、それでも反対運動を続ける事ができるのか?
そんな活動を天国の娘が知ったらどう思うだろうか?
自分を殺した犯人を、自分の親が死刑にはしないでくれと言うのである。
そう考えると、光市母子殺害事件の遺族、本村氏の言葉には深く共鳴する。
「もし、司法がこの犯人を極刑にできないのなら、早く犯人を釈放してほしい。そうしたら、私が犯人を殺す事ができる」
私は、この言葉を聞いた時、深い感動を覚え涙が止まらなかった。
被害にあった少女たちは、果たしてどちらを支持するだろうか?
死刑反対論の人たちは、このことをよく胸に刻んで考えてほしいものである。