日航ジャンボ機墜落事故

1985年8月12日、乗員乗客524名を乗せた日航ジャンボ機が群馬県、御巣鷹山に墜落し、520人が死亡する大惨事が発生した。
日本国内で起きた航空機事故として最大の航空機事故であると同時に、単独機としても世界最大の航空機事故となった。
そんな中、奇跡的に命を取り留めた人が4名いた。

4名の生存者
川上慶子さん(当時12才)、落合由美さん(当時26才)、吉崎博子さん(当時34才)・美紀子さん(当時8才)親子

川上慶子さんはヘリコプターで救出されるシーンが何度もテレビで放映されているので、知っている人も多いだろう。
その後、看護婦となり、幸せな結婚生活を送っている。
あるテレビ番組のインタビューで、当時懸命に看病に当たってくれた看護婦に憧れて、看護師の資格を取ったと語っている。

落合由美さんは客室乗客係8アシスタントパーサー)として搭乗していた。
後に落合由美さんは、事故当時の事を語っている。
その中で、死を覚悟した事や、目が熱くなり「失明する」と思った事なども述べている。
墜落直後、男の子の鳴き声が聞こえた。
「ようし!頑張るぞ!」と声を上げたり、母の名前を呼んだりと、その時点ではまだ元気だったという。
事故後の報告では、墜落直後、助かった4名の他にあと4名は少なくとも生存していた事がわかっている。

錯綜する墜落現場情報

墜落直後、生存者はかなりいたものと思われるが、墜落現場の特定が混乱し、場所を特定するまで実に16時間以上を要した。
このタイムロスが相当数の生存者の命を奪ってしまったことは間違いない。
では、場所の特定にこれほどの時間がかかってしまったのか。
このことは後の検証で墜落現場が全く異なる場所が有力視され、見当はずれの場所の創作に長い時間をかけてしまった事が判明している。
その検討外れの場所とは、長野県にある御座山(おぐらやま)という山だ。
現在では飛行機などの場所の特定はGPSで確実に捉える事ができるが、当時はTACAN(タカン)というシステムで計測していた。
TACANでは、墜落現場は群馬県の御巣鷹山をさしていた。
そう、正しかったのだ。
しかし、政府をはじめ日航関係者らもこの情報を信用していなかった。
誤った情報を信用してしまったのである。
そのため、捜査員や自衛隊など、多くの人材を御座山(おぐらやま)に派遣してしまったのだ。
その頃、実際の墜落現場となった御巣鷹山では、必死で生きようとする多くの人々が救助を待っていた。

墜落現場の特定と生存者の発見

最初の墜落の一報を受けてから実に16時間以上経過した8月13日10時54分、ようやく現場が特定された。
群馬県の御巣鷹山である。
当時、墜落機が異様な姿勢で飛行している姿を目撃した民間飛行機のパイロットがこう証言している。
「追跡すれば良かった。そうすれば場所の特定に16時間もかかることはなく、もっと多くの人を救出できたかもしれない。」
確かに後になってみれば悔やまれるのだが、当時としては致し方のない部分もあった。
まさかジャンボ機が墜落するとは到底想像がつかないからである。
この時の民間飛行機のパイロットを、誰も責める事はできない。
それにしてもお粗末は最初に誤報を流した警察だろう。
前述した通り、当時TACANでは御巣鷹山をさしていたし、米軍情報でも御巣鷹山付近を指摘していた。
にもかかわらず、警察の情報を信じてしまったのだ。
これについては、後に警察も日航側も焦りがあった事を認めている。
TACANの情報は確かに誤差もあり、信ぴょう性にかける点はあるものの、当時御巣鷹山付近に住む住民の目撃証言でも、御巣鷹山の方角を指していた。
しかも、かなり具体的な証言だった。
せめて捜索範囲を御座山と御巣鷹山の両方に分散できなかったのか?という疑問は残る。

●生存者の発見
最初に現場を訪れたレスキュー隊員は、そのあまりの惨状に目を疑った。
「生存者はまずいないだろう」
それぐらい凄まじい光景だったようだ。
そんな中で奇跡は起きた。
何か動いているのを捜索隊員の一人が見つけた。
川上慶子さんである。
ヘリで吊るされて救出されるシーンは何度も放映されているので、見たことがある人も多いだろう。
見た感じには外傷も少なく見えた。
まだ12才の幼い少女が、必死に生きようと頑張った姿を想像すると涙が出そうになった。
その後彼女は看護師の資格を取り、現在も医療の現場で働いている。
今では家庭も持ち、幸せな日々を送っているそうだ。

事故原因と誤解された機長

事故原因は様々な報道で何度も紹介されているのでご存じの方も多いと思うが、機体後部にある圧力隔壁が何らかの要因で破損し、裂け目が入った。
裂け目は一気に吹き飛び、垂直尾翼を直撃し、破壊した。
垂直尾翼を失った同機は操縦不能となり、ダッチロール状態に陥った。
事故発生当時は機長に対して世間からバッシングされたが、ボイスレコーダーの解析によって機長は最後まで諦めていない様子が証明された。
ここからは憶測にすぎないが、もし機体が大都市に墜落していたら大惨事となっていたであろう。
この機長はわざと山脈に機体を向けていったとしたら、犠牲者と遺族の方には大変申し訳ないが、素晴らしい決断だったと思う。
もしそうだとしたら、乗客乗員合わせて524名の命を背負いながら、とても決断できることではない。

この事故で亡くなった著名人

この事故機には著名人も多く乗り合わせていた。
中でも有名なのは坂本九さんだろう。
その他、元宝塚劇団の北原遥子さんや、ハウス食品代表取締役の浦上郁夫氏などがいた。

★★筆者の目線★★
冒頭でも書いたが、この世界最大級の航空機事故で犠牲となってしまった人々の中には、救助が早ければもっと多くの人が助かったものと思われ、悔やんでも悔やみきれない。
なぜTACANの情報は無視されてしまったのか?
しかも米軍の情報でも御巣鷹山の名前が挙がっていたし、御巣鷹山の麓に住む住人の証言でも、御巣鷹山に墜落したという重要な情報があったのだ。
生存者の証言で、少なくともあと4人は確実に生存していた。
亡くなるまでの間、必死になって生きようとしたに違いないのだ。
二度とこのような事故が起きない事を、切に願うばかりである。