足立区コンクリート詰め殺人事件の全容

1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月までの実に3ヶ月間に渡り、足立区で女子高生を監禁し、集団暴行の上に死亡させ、ドラム缶の中にコンクリート詰めしたショッキングな事件が起きた。
事件の発端は、高校生がアルバイトから自転車で帰宅途中、不良少年グループのリーダー格である少年Cが声をかけ、そのままホテルに連れ込んで強姦した。
その後少年Cの自宅に連れ込み監禁した。
3ヶ月にも及ぶ監禁生活の場となった少年Cの自宅には両親もいたが、日頃から家庭内暴力が絶えず、少年Cに逆らう事はできない状態だった。
この事件の異常性の一つが、女子高生が監禁されている事を親が知りながら、警察に通報する事すらできず見て見ぬフリをした点も大きな話題となった。
これを機に家庭内暴力が社会問題として、クローズアップされるきっかけとなった。
少年Cの自宅は不良少年グループのたまり場となっており、毎日複数人の少年から少女は暴行を受け続けた。
暴力の内容は実に凄惨なものである。
性的な暴行については、局部にビール瓶を押し込んだり、タバコやマッチなどの異物挿入、自慰行為をやらせたりした。
肉体的な暴力はさらに凄惨である。
鉄パイプでの殴打、根性焼き、足をライターで焼くなど、とても人間の所業とは思えないものである。
顔はもはや識別不能になるほど変形するまで殴られ、もはや立ち上がることすらできなくなっていた。
度重なる集団リンチの末、少女は死亡した。
少年らは死亡した少女をドラム缶に入れ、コンクリートを流し込んだ上で、当時の江東区若洲の埋め立て地に遺棄した。
平成元年3月29日、別件で逮捕された少年グループの一人から供述があり、事件が発覚した。

●加熱するマスコミ報道
あまりにも凄惨な事件故、マスコミの報道も日増しに加熱していった。
通常、加害者が未成年の場合、実名報道はされないが、一部週刊誌では少年らの実名を報道し、話題となった。
当時の編集社によれば、「あまりにも残虐な事件であり、野獣に人権などない」と言い放った。
裁判で明らかとなるまでは、少女に対する世間の目も冷ややかであった。
少女にも非があるのではないか?という風潮である。
被害者女性はテレビなどでも大々的に実名報道された。
やがて裁判で事件の全容が明らかとなってくると、被害者女性は屈辱的な性的暴行を受けたにも関わらず実名報道され、多くのマスメディアには加害者たちは実名報道されない報道姿勢に、世論は苛立ちを見せるようになった。
少年法改正論が際立ってクローズアップされはじめたのもこの頃である。

●ドラマ化
あまりにもショッキングなこの事件は、小説で出版されたのちドラマ化された。
中でもビデオ販売された作品では、暴行シーンがあまりにもリアルすぎてた為、18禁指定となるほどであった。
テレビドラマでも放映されたが、暴行シーンなどはかなり抑えた内容となったが、それでもショッキングなシーンはたびたび見られた。

★★筆者の目線★★
この事件ほど未成年者の犯罪を憎んだ事例は他にない
それぐらいに惨たらしい事件であった。
最近では映画やドラマで、ノートに名前を書くだけで凶悪犯罪者を心臓麻痺で死亡させるという「デスノート」がある。
もし、私がデスノートを持っているならば、確実に彼らの名前を書いているだろう。
本来ならば極刑でもおかしくないおの事件だが、少年法という分厚い壁が悪を裁く事の障壁となっている事は事実だ。
それだけではない。
精神疾患者などの凶悪犯罪もまたしかりだ。
本当の正義とは何なのか?
この事件を振り返って、「怒り」と「無念」、この二文字が強烈に脳裏をよぎるのは私だけではないはずだ。
多くの人々が感じている事実である。
しかし、行為無能力者や精神疾患者の責任能力を問う問題が残されており、これからの重要な課題として、真剣に考える必要があるのではないだろうか。