神戸市児童連続殺傷事件

1997年5月27日、兵庫県神戸市須磨区で前代未聞の事件が発生した。
世にいう神戸市児童連続児童殺傷事件の中でも、極めてショッキングな事件がこれである。
(「酒鬼薔薇聖斗事件」とも呼ばれている)
切断された児童の生首が、須磨区内の兵庫県私立北須磨中学校の校門前に置かれていたのである。
あまりにも猟奇的な事件でマスコミもこぞって報道した。

この日の少年は、実に奇妙な行動をとっている。
切断した児童の頭部を数時間眺め、そのあと家に持ち帰っているのだ。
その後、頭部の処分に困った少年は、神戸市須磨区内の中学校校門前に置いて晒すという奇怪な行動に出たのだ。
切断された頭部の口は耳元まで裂かれ、口の中には酒鬼薔薇聖斗を名乗る者からの犯行声明文が挟まれていた。
このような手口は過去にも前例がなく、奇怪な猟奇事件としてマスコミは取り上げた。

●酒鬼薔薇聖斗の初回の事件
1997年(平成9年2月10日)、神戸市須磨区の路上で小学生の少女2人がハンマーで殴られ、重傷お負う事件が発生した。
目撃証言により、服装などから須磨区内の中学校に通う生徒ではないか?と、少女の父親は考えた。
そこで、同中学校に生徒の写真を見せてほしいと頼んだが、学校側はこれを拒否した。
たらればだが、この時に学校側が写真を開示していれば、その後の事件は防げた可能性があり、学校側の対応に疑問視する声も囁かれた。

●少年の異常性
第一の事件後、間もなくして、第二の事件が発生した。
須磨区内の公園で当時小学校4年生の少女に声をかけ、ハンマーで頭を殴って逃走した。
結局この少女は脳挫傷で死亡してしまった。
第二の事件からおよそ2ヶ月後、1997年5月24日、酒鬼薔薇聖斗と名乗る少年は当時小学校5年生の男児を、首を絞めて絞殺した。
なかなか死亡しない児童に対し、後の供述で殺害を楽しんでいたとする異常性が明らかとなった。
第二の少女殺害については、死を確認していない事や一瞬で終わってしまった事から、快楽も何もなかったと供述している。
しかし、第三の児童絞殺事件では、児童が死に至るまで時間がかかり、その間快楽を実感したとその後の調べで明らかとなった。
この少年の異常行動がエスカレートするのはここからである。
死亡した少年の頭部を切断し、長時間にわたり切断した頭部を眺めていたという。
それだけでは事足らず、切断した頭部を自宅まで持ち帰り、その頭部を眺めながら自慰行為までしたというから驚きだ。
さらに舌を切断しようとしたが、死後硬直によってできず、断念したとも語っている。
しかし、いつまでも切断した頭部を自宅に置いておくわけにはいかず、あのショッキングな事件が勃発したのである。

●切断頭部校門置き去り事件
1997年5月27日、行方不明となっていた小学校5年生の少年の行方を追っていた捜査員たちに一報が入ったのは、その日の早朝である。
通行人が発見して警察に通報した。
通報を受けた警察官は直ちに現場に向かい、5月24日から行方不明となっていた小学校5年生の男児である事を確認した。
ニュースを見た酒薔薇聖斗は、当然のことなので何とも思っていなかったが、その日のうちに胴体まで発見された事には驚いたと語っている。
この事件の特異性から、マスコミはこぞって取り上げ、連日のように報道した。
また、酒薔薇聖斗なる少年は地元神戸新聞社に対し、挑発的な手紙も送り付け、話題を呼んだ。
現在、少年は既に少年院を出所しており、名前を変えて生活を送っている。
最近では自伝を出版し、話題となったばかりだが、その内容は幼稚で、反省どころか言い訳ばかりだと批判が相次いだ。

★★筆者の目線★★
この事件が発生してから早や18年が経過するが、今でも鮮明に覚えている。
若い人たちでも、テレビで過去に起きた凶悪犯罪特集などで必ず取り上げられる事件なので、知らない人はまずいないのではないだろうか?
一時、ネット上ではこの少年は出所後、弁護士になったという噂も流れたが、同様の別件事件での元受刑者の事であり、犯行の内容が似ている事から混合してしまったようだ。
この事件は1969年(昭和44)年4月25日、当時高校1年生だった男子生徒が同級生と悪ふざけをしているうちにケンカとなり、ナイフでメッタ刺しにして殺害した後、首を切断した事件だ。
この事件はあまり有名ではないが、後に「心にナイフをしのばせて」というタイトルで書籍化された。
さらに、テレビ朝日系列で「心にナイフをしのばせて」を原作とした「もう一つの酒薔薇事件」と題して、ドラマ放映もされている。
後に弁護士となったのはこの少年らしいのだが、詳しい情報は定かではない。