オウム3大事件

オウム3大事件とは、オウムが起こした大きな事件、地下鉄サリン事件・松本サリン事件・坂本弁護士一家殺害事件の事である。
あまりに多くの被害者を出した事や、それまで世間ではあまり知られていない「サリン」や「VXガス」などの化学薬品を使ったバイオテロであり、日本史上最大最悪の事件だ。
事の発端は松本サリン事件から始まる。

松本サリン事件

1994年6月27日、長野県松本市において猛毒ガスを発するサリンがばら撒かれ、死者8名、負傷者660名を出した事件である。
事件発生当時は、付近の小川に住むザリガニなどが大量に死んでおり、何らかの毒ガスが散布された可能性が高い事は認識されていた。
しかし、戦争でもない国でまさかサリンがばら撒かれるとは、誰も予想できなかった。
テレビ報道などで「サリン」と聞いても、それがどういったものなのかを知る者は科学者を除いてほとんど皆無であった。
当初、第一通報者の河野義之行さんが疑われた。
薬品を取り扱う仕事に従事していた事や、事件当日薬品のい調合していた事が疑惑を深めた。
警察は河野さんを重要参考人として連行し、連日取り調べを行った。

●加熱するマスコミ報道
河野さんが重要参考人として取り調べを受けていることを、マスコミはまるで犯人であるかのように報道した。

●怪文書
1994年9月、松本サリン事件はオウムの仕業であるという怪文書が警察の間で出回った。
この時はまだ半信半疑で重要な情報という扱いではなかった。
オウムには公安当局の潜入スパイも潜り込んでいるといわれており、スパイがらみの報告書ではないかとの噂もあった。
また、オウム施設近隣住民による匿名通報や、内部告発説もあるが、それらの真相は定かではない。
しかし、その後に発生する地下鉄サリン事件を受け、松本の事件もオウムの犯行であることが明らかとなった。

坂本弁護士一家殺害事件

1989年11月4日、当時社会問題となっていたオウム関連の問題に取り組んでいた坂本堤弁護士を、教団幹部6名が浅原の命令を受け、一家3人を殺害した事件である。
殺害場所となった坂本弁護士の自宅にはオウム真理教のバッジが落ちており、教団関与を疑う声もあった。
しかし、警察は事件との関連性は低いと考え、教団は捜査対象にすら入っていなかった。
事件が明るみに出たのは、1995年に発生した地下鉄サリン事件で逮捕された、岡崎一明(後に「宮前」に改名)の自供により、発覚したものである。

●事件の発端
当時、教団による洗脳や高額なお布施等、教団の反社会的な側面が一部の反教団団体に指摘されていた。
主なメンバーは、子供がオウムに入信した親たちである。
反教団関係者らは、当時この問題の取材にあたっていたジャーナリストの江上詔子氏の紹介で、横浜法律事務所に所属する坂本弁護士を紹介された。
教団の実態を知るにつれ、坂本弁護士の教団批判は日に日に強まってゆく。
そうした中、TBSテレビのワイドショー番組において、坂本弁護士へのインタビューが行われた。
内容はオウム真理教問題に関する事である。
これはビデオ録画として放送される予定だったが、なぜか放送前にこの情報を教団側がキャッチし、TBSに内容を確認させるよう求めた。
TBSはこれに応じ、ビデオをオウム側に見せ、放送は中止された。
しかし、このことは警察や弁護士会などには告げられず、坂本弁護士は教団の悪事を世間に公表することなく、オウムだけに見られてしまった格好となる。
結局、麻原が坂本弁護士をポア(殺す)しなければならないと決めたキッカケは、このビデオである事は間違いないだろう。

★★筆者の目線★★
TBSはなぜこのような行動をとってしまったのだろうか?
当時の状況を考えれば、教団はまだ犯罪組織と決まったわけではないので、宗教弾圧と言われる事を恐れたのだろうか?
それとも単純に教団の威圧に圧倒されてしまったのだろうか?
いずれにしても当時のTBS側の対応は疑問だらけと言わざるを得ない。

VXガス会社員殺害事件

1994年12月12日、当時28才の会社員がVXガスによって殺害された。
松本サリン以来の化学兵器を使った殺人事件とあって、再びバイオテロの恐怖が世間を騒がせた。
この会社員はオウム信者ではなかったが、オウム真理教のダミーサークル「ヴァジラクマーラの会」に入っていた。
当時、教団内では「分派」の噂が流れており、その噂を広めた人物としてこの会社員が疑われた。
公安当局のスパイ容疑をかけられ、大阪市淀川区内の路上で、井上嘉浩、新実智光、中川智正、山形明らによってVXガスを頭部にかけられ死亡した。

●オウム真理教被害者の会会長VXガス殺害未遂事件
1995年1月4日、東京都港区の路上において、オウム真理教被害者の会会長がVSガスで襲われる事件が発生した。
この事件の被害者、永岡弘行(当時56才)の長男がオウムに出家信者として入信しており、永岡氏は反オウム活動団体の中心人物であった。
このことをうっとしく思っていた麻原は、部下にVXガスを使って殺害するよう命じたのであった。
永岡氏は一時意識不明の重体となったが、2ヶ月半にも及ぶ賢明な治療で一命を取り留めた。
これら一連のVXガス事件は、1995年の強制捜査後、信者らの供述によって明らかとなった。

地下鉄サリン事件

1995年3月20日、午前8時、丸ノ内線・東西線・千代田線において、戦後最大規模の国内同時多発テロが発生した。
それも、当時は科学者しか知りえないサリンという神経ガスを使用したバイオテロである。
犯行は計画的で、サリンの入った袋を地下鉄内に持ち込み、カサで袋を突き破って猛毒神経ガスを発生させるという前代未聞の事件だ。

●犯行動機
当時、オウム真理教は坂本一家殺害事件や目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件、松本サリン事件など数々の犯罪行為を行っており、警察にマークされるようになっていた。
こういった事件を背景に、オウムに家宅捜索が入るという情報がオウム幹部たちの耳に入った。
そこで、幹部の一人である村井秀夫(後に徐裕行くという男に、大勢のマスコミが駆けつけている最中で殺害された)が、麻原に地下鉄サリン事件を提案したと言われている。
捜査の目をそっちに向けさせ、家宅捜査を免れようとしたのだ。
しかし、オウムはすでに松本サリン事件で既に警察からマークされており、地下鉄サリン事件は火に油を注ぐ結果となった。
これを機にオウムへの捜査は一気に加速し、麻原の逮捕へと繋がった。

●林被告の供述
一連の事件で一気に麻原逮捕へと導いた大きなキッカケは、地下鉄サリン事件発生から19日後、教団幹部であった林郁夫被告が自転車の窃盗容疑で逮捕された事からはじまる。
元々、教団や麻原の行動に疑問を抱いていた同被告は、警察の取り調べでサリン事件のオウム関与をほのめかした。
そして、ついに「麻原の命令で自分がまいた」と自供したのだ。
この自白を受け、地下鉄サリン事件や松本サリン事件など、一連の犯行はオウムの犯行と断定したのである。

★★筆者の目線★★
我が国で初となる大規模なテロ事件、しかも前例を見ない化学薬品を使ったバイオテロとあって、日本国内だけでなく海外でも大きく取り上げられた。
当時、サリンやVXガスなどは科学者以外、一般の人たちは全く知らなかった。
そうのような化学兵器が、よもや宗教団体の犯行とは誰も予想だにできなかったのだ。
松本サリン事件においては、全く関係のない一般人が疑われ、実名報道までされてしまった。
そのため、無言電話や恐喝電話、自宅への嫌がらせが後を絶たなくなったが、それでも懸命に無実を訴え続けた。
坂本弁護士一家殺害事件についても警察は大失態を侵している。
現場となった坂本弁護士の自宅にはオウムのバッジが落ちており、当時坂本弁護士とオウムの間には確執があったにもかかわらず、警察はオウムを捜査対象から外した。
明らかに警察のミスである。
少なくとも坂本弁護士の事件では、オウムを疑ってしかるべきであった。
坂本一家殺害事件は1989年、地下鉄サリン事件のおよそ6年も前の事である。
もし、坂本事件でオウムへの捜査を強化していれば、その後の松本サリンや地下鉄サリン事件は起きなかっただろう。
そう思うと、悔いても悔やみきれない警察の初動ミスであった。
被害にあわれた方々を思うと、適切な言葉が見つからない。
尚、事件から20年経つ今でも、後遺症に苦しむ人々が大勢いる。
このことを決して忘れてはならい。